周りの人を気にし過ぎて 本来の自分の良さや本領が発揮できない…そんなことでお悩みの人は多いと思う。
ではどうして、大勢の人がいると自分らしさや本領が発揮できないのか!?
その原因を要約すると
自分らしさや本領を発揮することによって…
- バッシングを受けたり
- 変な目で見られたり
- 村八分にあったり
- 嫌われたり
- 嫉妬やヤッカミを受けたり
上記事項のようなことが 要因になっているのではないだろうか!?
単純に言ってしまうと、自分らしさや本領を発揮することによって…とても嫌な思いをした! ということだ。
こういったトラウマ的なことがあり 自分に制限をかけてしまうのだ。
トラウマ側の言い分
自分らしさや本領を発揮することによって、とっても嫌な目にあった!!
あんなに酷い目にあうのだったら、二度と同じ轍を踏まないよう 大勢の人の前では自分らしさや本領は隠しておこう!!
これがトラウマ側からの言い分。
なるほどトラウマ側の意見を聞くと 一理ある。
つまり【自分を守るための策として 大勢の人の前では自分らしさや本領を隠す】というstanceです。
またこういうstanceは、様ざまなパターンに変わって出てくることがある。
例えば、イジメられていた過去がある人が 過剰に反応をして悪態をつくとか…
不快な思いをしたくないから 人を近づけないとか…
チャレンジして酷い目に合ったから チャレンジ(行動)は止めたとか…
人は自分を守るために 過剰(必要以上)な反応(行動)を示す場合がある。
これらの背景は 過去に似たようなツラい経験をして、もう二度と同じ轍を踏みたくない!! という自覚的/無自覚的な意思や想いから起こる事象である。
ここで一つ言えることは、これらの反応は自衛本能であり 人が生きていく上に於いて必要な事項だということ。
つまり、これらの反応は≪【悪い事】ではない≫ということだ。
反対側には何がある!?
前述したようにトラウマの意見は、自分を守るために必要以上に反応を示すことだ。
言い換えると、自分を守るための策として ○○をしない/●●をするという事だ。
その前提となっている事項は【自分を守る】ということだ。
ではこのトラウマの意見の対極に位置しているものは何か!?
- 理性
- 後天的思考(思い/望み)
- トラウマの意見を打破する行動
- トラウマの意見に従わない行動
上記事項が対極に位置しているものと思う。
さらに具体的に言うと…
- トラウマ反応のため 何もチャレンジできないのを止めたい!
- トラウマ反応のため 大勢の人の前で発言できないのを止めたい!
- トラウマ反応のため 消極的になっているのを止めたい!
こんなふうに置き換えることが出来る。
ではこれらの想いや望みの背景には何があるか!?
- 自分を成長(進化)させたい!
- もっと自由な人生を謳歌したい!
- コンプレックスを解消(減少)させたい!
このような背景があると思う。
そしてこれらの望みは、前述したトラウマの意見と相反している。
つまり【VS状態になっている】ということだ。
【自分を大事にする】という志は同じ!!
トラウマの意見も トラウマの意見を打破しようとしている望みも その志や根っこの部分は同じです。
ですので、これらの相反する事項を 戦わせるのではなく 協力し合うことが重要です。
なぜなら、志や目指すところは同じなのですから!!
例えば、過去にチャレンジをして とてもツラく酷い目にあった人は…
ツラく酷い目に合わない程度のチャレンジから始め そういうチャレンジに慣れ親しんだ頃合いを見計らって、少し難易度の高いチャレンジにトライする∞∞∞…
まず最初に、自分がギリギリ許容できる範囲のツラく酷い状況を把握すること。
それから 失敗しても自分が許容できる範囲のツラさのチャレンジをする!!
そして成功したら嬉しいし、失敗しても【チャレンジできた!!】という成功体験をすることになる。
楽なチャレンジの継続は【現状維持力】を高めるのみ!!
よくありがちなのが チャレンジが出来るように、今すぐ簡単に出来るチャレンジから始めよう!! というものがあります。
この試みは 何もやらないよりは良いですし、リハビリとしては有効です。
しかし 結論を言うと、この手法では 真にチャレンジができるようにはなりません。
ただただ【現状維持】が継続するだけです。
なぜなら このようなチャレンジ? は、失敗しても余裕で なんら酷い目に合わないからです。
つまり 安全パイでの行動であり、トラウマの意見に沿った行動だからです。
ですので このような偽チャレンジを継続しても 積み重ねにならない為、真のチャレンジに通じてこないのです。
重要なことは、失敗したら ギリギリ許容範囲のツラい目 酷い目にあうチャレンジを行うことです。
つまり耐えうるギリギリの負荷をかけてチャレンジをする!! ということです。
このレベルのチャレンジになると 継続し続けると耐性がついてきて 耐えられる許容範囲も高まってきます。
そうすれば 今まで以上に どんどんチャレンジできるようになっていくでしょう!!
大勢の前で 本領発揮できないケース
大勢の前で本領を発揮できないケースも、前述したチャレンジの話と同じだ。
「ちょっと嫌だなぁ」
「プレッシャーだなぁ」
「ストレスだなぁ」…と感じる程度の負荷で 本領を発揮できるようチャレンジする。
そういう積み重ねにともない、大舞台でも力を発揮できるようになっていきます!!
とは言え…
それが出来ないんだヨ!! というケースが大半と思います。
ではどうするか!?
答えは一つ 準備をするしかありません。
出来るようになるための準備を! スポーツの試合でも受験でもなんでも同じですが、やはり準備が必要です。
準備なしで ぶっつけ本番で事に臨めば、失敗したり うまく行くことはありません。
またここで重要なことがあります。
それは準備をする! 努力をする! ことに対して ネガティブな印象操作というか世論的なものが付随していることです。
最近 減ってきたかもしれませんが、一時期はスポーツ選手や著名な有名人などが 努力している所を見せるのは恥だとか、努力していないように見せないとダメだとか…そんな話がとても多かったです。
そんな刷り込みを受けた人たちは…
- 努力なんてダサい
- 準備や努力をする人は臆病者(小心者でダサい)
- 努力をしていても それを隠すようになる(努力してないと嘘をつく)
上記のようなstanceになってしまいます。
私が思うに、このstanceは人類にとって大弊害だと思います。
努力は人類にとって必要不可欠なもの!!
今は少し違うかもしれませんが、一時期は…
- 努力なんてダサい
- 努力する奴はダサい
- 努力してないように見せないとダメ
- 努力は隠さないとダメ
こんな概念が蔓延っていたように思います。
しかしこれらの概念は、刷り込みであり 真実ではありません。
まずこのような背景を理解する必要があります。
前述したように、努力はダサいとか 努力はダメということはありません。
ですので、例えば大勢の前で本領発揮できない場合は、大勢の前で本領発揮できるような準備【努力】をすることが大事です。
例えば、スポーツ競技で試合に勝つために準備(努力)をする! これと同じです。
しかしこういう事に対しても 刷り込みがあります。
俺は練習しないで試合に臨んで勝った! とか…
練習をマジメにやってないけど試合では勝てる! とか…
そんなことを吹聴する人々もいます。
しかしこのような発言を真に受けてはいけません。
例えその言が 本当だったとしても、準備(努力)しないで勝ったからといって それが特別価値がある訳ではありません。
ですので そのような言に惑わされないようにすることが大事です。
準備(努力)に応じて地力がついてくる!
正しい方向で キチンと準備(努力)を継続していれば 必ず地力がついてきます。
それにともない 準備してきたカテゴリー内に関しては、自然に自信もついてきます。
例えば、スポーツの試合にむけてキチンと準備をしてきた人ほど、自信を持って試合に臨むことができるのと同じです。
この原理は、どのような業界業種でも共通しており普遍事項です。
ですので 大勢の人の前で本領発揮できない人は、それを解消するために【正しい内容/正しい方向】の準備(努力)をすることです。
私が思うに、それしか手立てはないし それが最も確実な方法と確信しています。
とはいえ…
「努力などしたくない!」
「努力などできない!」
という人も 大勢いらっしゃると思います。
【紛い物の望み】という証!
望みを叶えるために その準備(努力)などしたくない! という人や どうもやる気が出なくて サボり気味…という場合…
その人に根性が無いとか、そういう事ではありません。
ただ純粋に、自分が望んでいたと思い込んでいたものが、実は本物ではなかった! ということです。
例えば、年収一億円!! と望んでいたつもりだったけど 性根の部分では そんなことは望んでおらず、それなりの生活が出来ればよいという深層心理の人は…
当然 年収一億円になるような勉強や準備(努力)などしません。
仮にやったとしても 長続きしなかったり いつまで経っても本気になれないでしょう。
このようなことは珍しいことではありません。
言動不一致という奴です。
といっても当人は嘘を言っている訳ではありません。
純粋に【深層心理で真に望んでいる事項と 表層の自我が望んでいる事項が一致していない】というだけの事。
そして尚且つ、表層の自我の意見に耳を傾けている状態なのです。
※補足】深層心理に基づき 深層心理と一致していると言動一致しやすい。
ですので 自分では本気で望んでいるつもりだけど…どうも努力したくないし、面倒くさいし やる気も出ない…
そんな場合は【その望みが本気なのか!? 偽物ではないのか!?】見直してみることす。
そしてほぼ100%と言ってよいくらい…行動こそが深層心理の現れであり 魂領域でのmessageとなっています。
つまり 本気で望んでいるつもりでも それに向けた努力が出来なかったり、やる気がない場合は【表層自我の望みだったり、魂領域の望みではない】と言うことになります。
人は 魂に基づいているとき 幸せを感じ うまく行くものです。
また魂からの望みであれば、嫌でもそれは叶うし具現化するものです。
そういったことを含め見て、
自分の本気【魂】の望み/願いは何なのか? 自分に問いかけ続けることも重要なのではないだろうか!?