統合を推奨するのはミスリード! という意見があるようです。
どういうことかというと 今のような混沌とした時代に於いて 善悪含めて統合するというのは宜しくない。
悪い事項に対して キチンとNO!と提示すること。
つまり統合よりも ハッキリと意志表示をして、嫌なものは嫌だ!と宣言することが重要という意見である。
まったくもって その通りだ。
しかし私が思うに、統合というものは嫌なものも我慢して受け入れろ! とか 嫌なものも 敢えて受け入れなければいけない! という側面は皆無と理解している。
しかし例えば、統合とは嫌な事も全て受け入れること! という理解になってしまうと…統合なんて とんでもない! 統合を推奨するのは ミスリードだ! となってしまうと思う。
具体的に統合とは!?
地球には、人間だけではなく 人懐こい犬や猫もいるし 気の優しい熊や草食動物もいる。
そして 草食動物を食する肉食動物もいるし 毒蜘蛛や毒蛇もいる。
そして元々は 皆うまく調和というか 食物連鎖の法則で、上手く成り立っていた。
ですので例えば、肉食動物が草食動物を食べたからといって…肉食動物を絶滅させろ!! とは考えないし、毒ヘビに噛まれて命を失う人がいるからといって…毒ヘビを絶滅させてしまえ!! とも考えません。
私が理解している【統合】とは 上記事項のように色々な種族や主義主張や習性があるが、なんだかんだで上手く運営されている! というのが私が理解している【統合】です。
これをもっと拡大解釈していくと 天使も悪魔も レ●ティリアンも 各々の習性や主義主張はあるけれど【なんだかんだで上手く成り立っているよね】という解釈です。
とはいえ…人間同士でも 話が通じない人はいますし それがレ●ティリアンやグレイなどのような 地球人に対して悪意のあるエイリアンが対象となると…
そんな綺麗ごとは まるで通用しないでしょう!!こういう現実があります。
おそらく【統合がミスリード】という主張は、このような背景を含んだ意見だと私は捉えています。
しかし例えば、並木さんが伝えている統合というものの前提は、5次元惑星へ移行することです。
言い換えると アセンションを遂げることを前提にした【統合】です。
つまり、今のような3次元界での【統合】ではなく 5次元に向かっていくために必要な【統合】ということです。
ですので例えば、悪意あるエイリアンも歓んで受け入れましょう!! 等ということではなく、まずは悪意あるエイリアンが存在していることを認め受け入れること。
言い換えると 毒蛇や毒蜘蛛が存在していることを 認め受け入れることと同じだ。
その上で
- 私は 彼らとは関わりを持ちません
- 私は彼らの奴隷で居続けるつもりは一ミクロンもありません!
とやれば良いのです。
私の理解では これも立派な統合に含まれています。
中庸について!!
統合と同様に 今のような混乱期に於いて、中庸を推奨することもミスリードなのではないか!? という意見もある。
その背景をいうと、極めて悪質な社会病質者やサイコパスがいる世の中に於いて、そういう悪を見ずして 中庸で居続けることに何の意味があるのだろうか? ということ
言い方を換えると 極めて悪質な行為を 敢えて見ないようにしていたら 世の中が変わらないのではないか!! ということでもある。
このような意見に耳を傾けると 中庸はミスリード!! という意見にも一理あるというか 私も賛同する。
しかし中庸においても、人によって【定義が異なっている】というのが とても大きな要因を占めているように思う。
一般的に言う中庸とは?
【両極端でなく その真ん中に位置していること】という捉え方が多いと思う。
このような定義の中庸であれば、今のような混乱期に於いて 中庸でいれば 世の中が好転するとか 人生を好転させる力は無いと思う。
ただ一つのメリットとしては、感情に揺さぶられないで過ごすことが出来ることだろうか!?(それはそれで大事だが…)
また補足しておくと、このような定義の中庸で居ることが、アセンションに通じてくるわけではない。
私が定義する中庸は上記の定義と 似て異なるものである。
私が定義している中庸とは…
もっと自由で 自在性のあるものだ。
自由自在な中庸!!
私が理解する中庸とは 固定されたものではない。
例えば、右を知り 左を知る(つまり両極を知る)…その上でどう在るか どう行くかは自由自在!!
どういうことかと言うと、食事を腹いっぱい食べると苦しい…そういう経験をして理解している。
片や 断食もして飢えの苦しさも経験して理解している。
その上で、どのくらい食べるか!? それは自己責任に於いて 自分で決めればよい!!
私が理解する中庸とは、そのような在り方である。
つまり常に真中 50%という固定された分量ではなく 上記stanceにおいて 自由自在であればよい! という理解である。
抽象度を高めること!!
またそれだけではなく、真に重要なことは抽象度がどれだけ高いか!という事だ。
実際問題 抽象度の高い人と低い人の【中庸】はまったく異なるものになる。
例えば、右派と左派に分かれた場合…抽象度の低い人は
右派は素晴らしくて 左派はダメ!! とか…
左派は素晴らしくて 右派はダメ!! となりがちです。
つまり、どちらかが素晴らしくて もう片方は全然ダメ! という概念(両極端な二極論)です。
ですので抽象度が低い人が認識している中庸は【善悪を完全に分けた上で 敢えて中立を保つ】という内容になる。
これは見方によっては ただの中途半端な状態であり イザコザを起こさないという意味では有効だろうが、それ以外にはさしたる力は無いだろう。
片や抽象度が高い人の中庸は
- 右派も左派も意見や主張は異なるけど 世の中を良くしたいという意味では同じだよね
- それぞれの主張や意見は異なるけど 個々人が幸せでありたい! という意味では同じだよね
という概念を持ちます。
ですので
- 右派も左派も一緒にやれば良いじゃん!
- 右派も左派も皆で幸せになれば良いじゃん!
という概念に通じてきます。
このように同じ中庸でも 抽象度の高低によって、まったく異なる中庸になってしまうのです。
ですので、出来るかぎり高い抽象度での【中庸を実践/実戦】することが重要です。
そして抽象度の高い【中庸の実践/実戦】であれば その行為は アセンションに通じてくると私は確信しています。